FC2ブログ
 
 8月31日(土)、シネマサンシャイン土浦にて。
 トッド・マッカーシーが著し、高橋千尋が訳した『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』に、この世での最後の十五分間を一本の映画を見て過ごすとしたら、それは『リオ・ブラボー』だと、本作を監督したクエンティン・タランティーノは答えているという記述があるが、物語の筋がなくて登場人物たちの日常を緩やかな語り口で描いてゆくところは、やはりホークスの手がけた傑作西部劇の悠然としたテンポを思い出させるし、彼らの一挙一動をじっくりと捉えた演出は、タイトルの元ネタのひとつである『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)を手がけたセルジオ・レオーネを髣髴とさせるタッチである。
 展開を急ぐことはしないけれども、落ち目のTVスター(レオナルド・ディカプリオ)と相棒のスタントマン(ブラッド・ピット)がハリウッドでなんとか生き残りたいという焦りやそれでも揺るがない二人の絆と、スターへの階段を上がってゆくことを予見させるシャロン・テート(マーゴット・ロビー)の眩しい魅力を、徐々に徐々にスクリーンに刻みつけていきながら驚愕のクライマックスへ突入するのであるが、「悲しい事件をオレがぶち壊してやる!」というタランティーノの“映画のデタラメパワー”が炸裂してとても痛快。それゆえにラストには哀愁が漂っているんだけどね・・・。
 ホントはけっこうイイ仕事をしてるのに自分のスター人生は終わったと思って泣き出してしまうディカプリオには、女の子の前でもメソメソして笑わせながらも彼の境遇にはクリント・イーストウッドを思い出してしまうし、カルト集団の住む廃墟となった映画のセットにたったひとりで踏み込むタフなピットも、ゾッとする怖さを漂わせたヒッピーたちと自分を馬鹿にしたクソ野郎をぶちのめす狂暴演出と相まってナイスだが、とにもかくにも観客を惹きつけて離さないマーゴット・ロビーの存在感にマイってしまった。
スポンサーサイト



 『ブラック・クランズマン』の短評
 5月19日(日)、キネマ旬報シアターにて。
 二人で一人の人物を演じて白人至上主義団体のKKK(クー・クラックス・クラン)に入会して悪事を暴こうとする黒人とユダヤ人の刑事の物語は、新米ながらも自信たっぷりの口調で「俺は黒人が嫌いだ」と偏見まみれの白人に電話で言ってみたり、プロでありながらも「白人のつもりだったが、今は全力で否定してる」と自分の葛藤をボソッと呟いたりと、二人が組織に潜入することで、コメディの要素を取り入れながらも、彼らが自分たちのルーツとも向き合わざるを得なくなる展開が巧みである。
 また、黒人を目の前にして“カエル”と平気で口走る警察内部での人種差別があったり、逆に黒人は警官を“ピッグ”とよんで軽蔑したりと、主人公が「潜入」を仕事とすることによって、1970年代の白人と黒人の差別に対する感情も伝わってくる。
 そして、ブラックパンサー党のリーダーであるストークリー・カーマイケルの演説を延々と映し出し、KKKを英雄のように描いた『國民の創生』(1915)を観て、白人の人種差別主義者たちが狂ったように拍手する姿と、そんな露骨な偏見を帯びた作品によって引き起こされたリンチ事件をひとりの老人が語り、集会に来ていた多くの黒人たちが憤激する姿を、カットバックを使って描写することで、監督のスパイク・リーは、作品のバランスを崩してでも、アメリカで虐げられてきた黒人の苦闘を、あらん限りの力で観客に届けようとしており、スクリーンから放たれる熱気が凄まじい。
 後半になるとサスペンスがちょっと雑になるが、やはり物語の統一感を犠牲にしてでも、「今も昔もアメリカはちっとも変わっていないじゃないか!」という叫びを、スパイク・リーはラストで投げかける。KKKの最高幹部のデヴィッド・デュークが何度も言っていた「アメリカ・ファースト」ってフレーズは、2017年に大統領になったドナルド・トランプも演説で使っていたよな・・・。
 5月1日(水)、ユーロスペースにて。
 ジャン=ピエール・メルヴィルによる“B級映画”といった感じの映画。オープニングの国連総会の場面は、ニュース映画をそのまま使っているし、主人公である通信社の記者とカメラマンがアパートの屋上で口論するシーンの背景は、夜のビルを捉えた写真を拡大しただけだし、オフィスや売春宿のセット撮影は、どうにも「軽さ」が顔を覗かせて安っぽい。
 しかし、国連総会を無断で欠席したフランス代表の行方を捜すために、二人の男がマンハッタンの夜を彷徨う姿は、ムーディーなジャズと相まって蠱惑的。「あなたは私立探偵?」と踊り子が記者に質問したり、カメラマンが自殺未遂をした女優を脅して情報を引き出そうとしたりと、まるでフィルム・ノワールの主人公のようだ。レコード会社の録音風景やバーから“男の社交場”の雰囲気が漂ってきて、長編監督デビュー作となった『海の沈黙』(47)でも遺作となった『リスボン特急』(72)でも、メルヴィルの抜群に巧いところだ。
 メルヴィル本人が演じた記者の、上司に呼ばれてからオフィスに行くまでの動きをずっと捉えたワンカットにも、緻密な描写に拘りを感じさせる演出スタイルがあるし、物語の終わりにカメラマンの取った行動は、その後の『サムライ』(67)や『仁義』(71)の主人公たちも想起させ、低予算で粗いところはあるけれども、いかにもメルヴィルらしい作品となった。
 4月20日(土)、T・ジョイ PRINCE品川にて。
 ヒーローに変身して大人の体になった14歳の少年が、ビールを買って飲んでみたり、ストリップクラブを覗いてみたり、『ロッキー3』(82)の主題歌である「アイ・オブ・ザ・タイガー」に合わせて手から稲妻ビームを乱発して小銭を稼いだりと、超人パワーをムダなことにしか使わないのが、いかにもワルガキっぽくて笑える。
 しかし、心がコドモのままであるために、筋肉ムキムキでピチピチタイツの超人であるシャザムになっても、スーパーパワーを奪おうとするドクター・シヴァナが襲って来ると、「戦え、バットマン!」と叫びながらオモチャを投げつけて逃げ出してしまって、どうしようもないくらいポンコツなのである。
 それでも、「家族を救えなければ、ヒーローじゃない」と決心し、血の繋がらない兄弟や姉妹を敵の手に渡すものかと奮闘することで、“真のヒーロー”になるというアツい展開によって、一見すると変化球の作品のようでありながらも、実は「家族」をテーマにした王道のアメコミ映画となっている。
 クライマックスのバトルはダイナミックでサービスてんこ盛りであるがゆえに、却ってテンポをダレさせてしまっているのが残念だが、『デッドプール2』(18)のような茶目っ気のあるラストにはビックリしたし、「アメコミ大好きな子供の空想をそのままマンガにしました」って感じのエンドロールも夢があって楽しい。
 孤独であるが故に邪悪な力に引き込まれたドクター・シヴァナは、シャザムにとって“もうひとりの自分”であり、幼い頃のシヴァナのエピソードがオープニングになっているのも、魔術師から召喚されてもパワーを与えられなかった人々が大勢いるのも、「どんな人間だってヒーローになれるけれども、他人を支配するために力を悪用しようと企んだり、欲望に負けてチャンスを逃したりしちゃ駄目なんだ!」という本作のメッセージであり、シャザムと仲間たちに起こった“奇跡”と相まって、ストレートに心に響いた。
 4月27日(土)、シネマサンシャイン土浦にて。
 主人公であるアメリカの潜水艦の艦長が乗員たちにとって「噂の存在」であったり、ロシアの原潜の艦長に「あなたと私は同じだ」と語りかけて信頼を勝ち取ったりと、まるで『眼下の敵』(57)を想起させる展開であるが、クーデターによって監禁されたロシアの大統領を助けるために、アメリカのネイビーシールズと大統領の護衛が協力して敵に立ち向かう激しい銃撃戦のように、国家の政治システムや思想の違いを乗り越えて、互いの意志に共鳴した兵士たちの死闘がアツくて凄まじい。
 潜水艦や機雷原をミニチュアで撮影した場面は、スケールの小さい感じがモロバレしてチャチいところもあるし、コンピューターによって演出された爆発シーンも、奥行きを感じさせない薄っぺらな加工が安っぽい。まぁ、本作を製作したミレニアム・フィルムズは、『エンド・オブ・ホワイトハウス』(13)や『エンド・オブ・キングダム』(16)でも、なんだか特殊効果がショボかったしなぁ・・・。
 それでも、「潜水艦内部での火災」や「水圧の恐怖」のような“潜水艦映画のお約束”はきちんと描かれており、特に、敵の駆逐艦に感知されないように、全ての乗員が物音を立てずに息を殺す場面は、観ているこっちも呼吸を止めてしまうほどの緊張感であるし、主人公の「土壇場での直感」が炸裂する後半のクライマックスは、『レッド・オクトーバーを追え!』(90)でのジャック・ライアンの“賭け”みたいで、けっこう痛快である。
 執拗なまでに潜水艦を延々と映し出すエンドクレジットには、なんだかヘトヘトにさせられましたヨ。
プロフィール

HORIDASHIDOGU

Author:HORIDASHIDOGU
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR