6月23日(土)、シネプレックスつくばにて。
 和太鼓や相撲に歌舞伎といった日本の伝統芸能や、雲や炎に海の波といった自然の現象が、ストップモーション・アニメで描かれることで映像に躍動感が漲り、“モーション・ピクチャー”としての吸引力の強さに圧倒されるし、ちょっとムチャクチャな鮨の調理シーンとアイタタタな手術の場面は、「ここまでやるか!」と叫びたくなるくらい緻密なディテールで構成されているのがスゴイ。歯まで飛ばしちゃう犬もいるしね。
 また、エサを巡って対峙する主人公の犬たちと他の犬たちの間を、ゴミが風にコロコロと舞うカットは、まるで西部劇のようだし、強烈な色彩の場面は鈴木清順の作品を想起させ、「菊千代」や「東宝」といった言葉に楽曲まで連打されれば、『七人の侍』(54)へのリスペクトがビンビンと伝わり、作り手たちの好みが大爆発でありながらも、一本の映画としてきっちり成立している。
 映像の情報量が洪水のような勢いでスクリーンから溢れ出てくるため、作品についてゆくのがちょっと大変ではあるが、メガ崎市の犬たちを全滅させようとする市長が、犬たちを助けようとして演説をぶちかました交換留学生を処罰するシーンは、立場や意見の異なる人々に“寛容”ではなくなっている「今」を見せつけられているようであり、ブルッとした。
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 6月21日(木)、シネマサンシャイン土浦にて。
 絶望と希望、狡猾と愚直、打算と信念・・・。様々な感情を発散させる登場人物たちの「顔」にヤラれた。アップで捉えられた彼らの表情は、息を呑むほどパワフルだ。それでいて、じっと目を凝らさなければ顔も見えないカットもあり、映像表現の「光と影」によって、自分の信条を貫こうとする「普通の」人々の悪戦苦闘が、スーパーヒーローでもなんでもない「普通の」観客に、ダイレクトに伝わってくるのだ。
 また、最初は対立しながらも結果として“共闘”することになった赤松と沢田を、カメラの切り返しによってダイアローグを描くことで、相容れない生き方でありながらも互いに“共鳴”していること示したラストは、まるでマイケル・マンの作品のようで痺れるし、沢田と同僚の電話での会話を分割画面で演出したシーンも水際立っており、「言葉のアクション」に熱気を与えている。
 映画の進行にそれほど必要のない登場人物もいて「?」と感じるし、メインとなる男たちのドラマが融合しきれていないきらいもあるが、突然の事故によって運命に立ち向かわざるを得なくなった「普通の」人々の血と汗と涙の物語として、描くべきところはしっかりと押さえられた佳作となっている。
 6月7日(木)、シネプレックスつくばにて。
 理想の服を作ることに人生の全てを捧げているデザイナーの男と、完璧なスタイルであるために男に認められて一緒に暮らすことになった女の、互いの感情が大きくすれ違ったり少しだけ理解したりしながらも、ホラーのようでもありコメディのようでもあって胸クソ悪い雰囲気を漂わせるのは、デヴィッド・フィンチャーの『ゴーン・ガール』(14)みたいだが、フィンチャーが観客の心を動揺させる物語を客観的に選んでいるのとは逆に、本作の監督であるポール・トーマス・アンダーソンは、自分の中から湧きあがる「不可思議な人間の心の揺れ」にフォーカスして物語を演出しているようである。
 少々ドジなところもある純朴な“普通”な女が、どんな時でも仕事のことしか考えないで人間を愛さない“普通”ではない男に、どんな手段を使ってでも振り向いてもらおうとしたがために、自らも“普通”ではなくなってゆくところが、やはりアンダーソンが手がけた『ザ・マスター』(12)のように、2人の感情が物語の枠を破壊してゆく「純粋と狂気」を併せ持った作品となっている。
 ファッションショーでドレスを着てエレガントに歩く女をドアの穴から覗き込む男の眼のアップは、まるで『サイコ』(60)のようだが、本作では女も男に覗かれていることを感じているのが官能的だ。
 『白い肌の異常な夜』(71)でも本作でも、どうして男の運命を握ろうとする女は「毒キノコ」に手を出したくなるのかな?
 6月9日(土)、シネプレックスつくばにて。
 チャンバラ映画の歩みを語るとともに、リアルな殺陣を時代劇にもたらした映画監督の黒澤明と俳優の三船敏郎のコンビを軸に、波乱万丈だった三船の生涯に迫ってゆくドキュメンタリーであるが、ちょっとした映画好きなら誰もが知っているエピソードで構成されているため、少々物足りない。
 しかし、だからこそ、誰にでもとっつきやすい内容となっており、三船という稀代の大スターを知るには絶好の入門編である。東宝の大プロデューサーであった田中友幸が記録した『用心棒』(61)の撮影現場の8ミリフィルムが存在することには驚かされたし、飲酒運転でグシャッとつぶれた三船の車を撮った写真も、三船の人となりを垣間見させてくれる。
 父親の営んでいた写真館のモデルとして赤ん坊の時からシャッターを切られており、カメラの引きつけてやまない三船のオーラは、もしかしたら、本人は意識せずとも少しずつ培われていったのかもしれない。
 『赤ひげ』(65)で黒澤とのタッグがなくなってから晩年までの展開は駆け足気味であっけないが、「三船さんはね・・・、我慢の人だったなぁ・・・」と語った俳優の土屋嘉男もすでに故人となり、日本映画の黄金期を知る人たちの言葉が刻みこまれた貴重な作品となった。
 5月31日(木)、USシネマつくばにて。
 誘拐されたジャン・ポール・ゲティ三世の血まみれの片耳が新聞社に送られてくるシーンは、『ハンニバル』(01)や『悪の法則』(13)で目を覆いたくなるバイオレンスを観客にぶつけてきたリドリー・スコットらしい描写でゾクゾクさせられる。
 また、犯罪組織のアジトでバアサンたちが札束を数えているシーンが、『It’s A Man’s Man’s Man’s World』のソウルな曲調と相まって、とてもカッコいい。ここらへんは『アメリカン・ギャングスター』(08)で既に証明済みだ。
 他にも、幼いポールと祖父のジャン・ポール・ゲティを包み込むかのように、ローマ皇帝の別荘の遺跡に綿を千切ったような雪が舞うシーンは、『グラディエーター』(00)を想起させ、暴力もソウルミュージックも自然の美しさもガバッと取り入れてひとつの作品をクリエイトしてしまうスコットの映像力を堪能できる。
 ポールとゲティの運命をクロスさせて描く後半のクライマックスからはドラマティックな効果が出ているとは言い難いし、マーク・ウォールバーグの演じる弁護士はいてもいなくてもいいようであり、物語の構成がいまいちピリッとしていないのもスコット作品の物足りないところだが、「相手の命を奪えるにも関わらず、殺しはせずに生かそうとする」登場人物が存在するのは、スコットのオブセッションのような気がしてならない。
 非力な一人の女性が勇気を持って強大な敵に立ち向かう展開は、偶然とはいえ、本作と同じ2017年に製作されたスティーヴン・スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』とそっくり。どちらの作品にも新聞が風に飛ばされて空を舞うカットがあるしね。
 まぁ、本作の場合は、誘拐犯よりも“身内”のほうが遥かに強敵なのだけれど・・・。
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