「ワルキューレ」を観た(過去に書いた駄文から…)

Category : 劇場公開作品

 共に処刑される仲間に向かって、「国民は忘れない」と、主人公であるシュタウフェンベルク大佐の投げかける言葉は、自分たちは正しいことを行なったという自負でこそあれ、ヒトラーを暗殺してベルリンを掌握するという、彼らが実行したクーデターに歓喜するドイツ国民の姿がスクリーンに映し出されないために説得力を伴わず、暗闇の処刑場の中で空虚に響くだけ、に思われる。
 しかし、それこそがこの映画の意図するところなのである。情報が制限された状況下での主人公の「内的真実」を、外部の状況と連動させているのだ。ヒトラーが生き延びたことを示すものは、彼の姿を映した「映像」ではなく、彼の声という「音」のみであり、爆発による大佐の暗殺計画の遂行後、ヒトラーの姿が画面に登場しないため、大佐がヒトラーの生存をラジオ放送で知り、呆然とした表情で「爆発を見たんだ・・・」と呟く姿は、計画の失敗を認める、というより、ヒトラーは死んだという自分にとっての「真実」を、頑なに信じようとしているかのようだ。
 つまり、ヒトラーを暗殺する大規模な計画の全容とその顚末を描いた壮大な歴史の物語を期待すると、肩透かしを食らうことになるのだ。暗殺を計画する男たちの、仲間への疑念が生み出すサスペンスや、空襲によって屋敷が揺れ、レコードの針が動き、ワグナーの「ワルキューレの騎行」を耳にした大佐が作戦をひらめくシーンの高揚感、様々な偶然のために、完璧に練り上げたはずの計画に綻びが生じながらも、この機を逃すまいと行動する大佐の焦燥と、男たち一人ひとりの固い決意や優柔不断が露呈する、暗殺の決行当日の手に汗握る緊張感等、素晴らしい場面が多々あるが、それらの場面全てが、大佐の内的世界を描くための要素としてあるわけではないため、バランスが悪く、少々いびつなストーリー展開となってしまった。
 しかし、主人公の「内的真実」を描き出すという、これまでの戦争映画にはなかった試みは評価すべきである。そのような試みによって、この作品は知的な魅力を放つ物語となった。
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