「ダーティハリー」(過去に書いた駄文から・・・その1)

Category : 劇場公開作品

 何人かの論者が指摘しているように、「見る者」と「見られる者」という、視線の優位を巡る死闘によって、刑事のハリーと殺人鬼のスコルピオが、追う者と追われる者であるにも拘らず、実は似た者同士であることを、映像だけで観客に意識させてしまう演出が、作品に異様な緊張感を与えている。
 この徹底した映像の構築により、スコルピオをビルの上から待ち伏せするハリーが、双眼鏡で女性の裸を覗き、「楽しむとするか」とつぶやくシーンでも、ユーモアの中に恐ろしさを感じてしまうのである。
 この恐ろしさの要因は、スコルピオの邪悪な存在そのものが大きい。殺す標的を見つけた時の不気味な笑みや、ハリーにナイフで脚を刺された時の狂ったような叫び声は、心底気持ち悪い。それでいて、ハリーに追いつめられると、「俺には権利がある。弁護士を呼べ」と、法を利用して逃げ延びようとする狡猾さもある。もし、この絶対悪の存在感が弱かったならば、作品のボルテージも数段下がっていたに違いない。
 しかしこれだけならば、本作は息苦しいだけのカルト作品にしかならなかっただろう。なによりも活劇の持つ躍動感が、本作を傑作にしているのである。
 ハリーがホットドッグを喰いながら、銀行強盗たちに銃弾を放つシーンや、ハリーが「止まれ」と叫んだ瞬間、スタジアムのライトがスコルピオを照らし出すシーンは、アクション映画の興奮が漲っており、思わず「おぉっ!」と声を上げたくなってしまう。
 そしてなによりも、ラロ・シフリンの音楽が素晴らしい。スコルピオが標的を狙うとき、また、ハリーがスコルピオに狙いを定めるとき、異常な熱気がスクリーンからほとばしってくるのだ。
 不安と高揚という、相反する情動を一気に引き起こすシフリンの音楽こそ、潜在的に似通っている刑事と殺人鬼の、混沌とした争いに相応しい。本作での彼の手腕は、もっと評価されてもいい。
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